┏━┓ ┃雀┃□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ┗━┛ 月カン!雀賢荘−01.06.14− ┏━┓┏━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━━━┓ ┃賢┃┃月┃カ┃ン┃!┃雀┃賢┃荘┃Vol.02┃ ┗━┛┗━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━━━┛ ┏━┓ http://www.nifty.com/jankenso/ ┃荘┃ □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ┗━┛ ●○●○●「雀賢荘」よりお知らせ●○●○●○●○ 第14回プロ対戦予選大会が開催! 先日のサービス停止に伴い、予選大会を中止しユーザーの皆様には 大変ご迷惑をおかけいたしました。 仕切りなおし致しまして、予選大会がスタートします。 本予選大会上位(3名)の方は,プロと対戦できる 「プロ対戦大会」に参加できます! プレゼントも当たりますよ! <第14回プロ対戦予選大会 日程(予定)> @2001年6月15日(金)〜6月25日(月) @雀賢荘大会サロンにて。 ふるってご参加ください。 おまちしてます。 【月カン!雀賢荘★INDEX】―――――――――――――――――――――― |(1)麻雀を知ってるつもり!? Vol.2 |(2)ハカセの麻雀プロ観戦記 |(3)薄幸OL編集長通信 ※お詫び ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ _____________________________________ (1)○●麻雀を知ってるつもり!? Vol.2  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 麻雀の歴史を面白おかしくえぐりだす!2回目。さて今回は? 日本初の麻雀は女子高(!)で ■麻雀パイは家具だった! 日本に初めて麻雀が持ち込まれたのがいつのことなのか、ごぞんじでしょうか。そ れは明治42年のことなのです。 当時、中国では麻雀が活発に行われていました。もちろん19世紀のことですから、 ゲームというほど上品なものではなく、流行っていた博打の一種だったわけです。 この新種の博打である麻雀が恐ろしいほど面白かったため、中国に駐在していた外 国人のなかにもやる人が増えていきます。その結果として、20世紀初頭にはアメリカ やイギリスをはじめとした世界的な麻雀ブームが巻き起こるのですが、それはさてお き日本の話です。 そのころ、日本からも中国に数多くの人が行っていました。現在、ユニクロの服が 中国の工場で作られているように、仕事の中国赴任はいっぱいあったのですね。 日本に麻雀を初輸入した名川彦作氏もそんな一人でした。名川氏は東京帝国大学を 卒業した教師であり、英語を教えるため中国に赴任したのです。そして、現地でバリ バリ麻雀していたのでしょう。帰国したときに麻雀牌を持ち帰ったのでした。 当時の麻雀牌はたいてい牛骨で作られています。象牙など他の動物の骨で作られた 牌もありましたが、まだプラスチック製はないわけです。そうなると値段だって安く なく、麻雀牌1セットは現在価値にして最低でも数十万円するシロモノでした。 ずっと後のことですが、昭和5年に文芸春秋社(あの文春です)が売り出した麻雀 牌は廉価版で18円、高級品で43円でした。当時、白米10キロが2円くらいですから、 麻雀牌が高かったことがおわかりいただけることでしょう。当時、麻雀牌は遊び道具 というよりも、一生モノの「家具」だったのです。 ■ああーっ、センセっ、ご無体なっ! 帰国した名川氏は樺太(カラフト)の女学校に赴任しました。そこで女生徒に麻雀 を教えたのです。 さて女子高で麻雀というと、いけない想像をしてしまう人も多いはずですね。代弁 させていただくと、こんな感じでしょうか。 「さーて、楽しい課外授業のお時間だよ。今日は一符十厘な。グフフ」 「えっ、そんなにでございますか?」 「ローン。マンガンやね。グフフ」 「ああ、全然アガれないわ……」 「さーて、締めて二円三十五銭だよ。グフフ」 「そんな……、いま持ち合わせが……。あっ、何なさるんです!」 「金がなけりゃあ、かわりのモノでもいーんだって。グフフ」 「ああっ、それ以上なさったら、わたくし自害いたします!」 日本映画のタイトル風にするなら「最果ての女学校 危ない課外授業 麻雀編」と いったところでしょうか(すんまそん、本題から外れっぱなしで)。(^^; しかし、その実態は……。残念ながら、女学校での麻雀はそういったものではな かったと思われます。当時、女学高に進んだのは女性のわずか数%。バリバリのエ リートです。名川氏のような帝国大学を出た名士が教えるくらいですから、麻雀はお 茶、お花、なぎなたなどと同じく「婦人のたしなみ」として扱われたのでしょう。 しかし、日本初の麻雀が行われたのは女子高だった――これは日本麻雀史に燦然と 輝いている事実です。この課外授業についてくわしいことはわかりませんが、生徒の 嫁入り道具に麻雀牌を持たせた話などが残っています。 ****************************** さて、いきなり始まったピンクモードは次回も続くのか? 業界初の桃色麻雀史(コオヤジ風味)。 乞うご期待! _____________________________________ (2)○●「近代麻雀」誌に数多くの連載を持つ、業界屈指のライターが徹底鑑定!! <ハカセの麻雀プロ観戦記!>  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 今回は、麻雀プロ鑑定団 飯田正人編 その1 業界の中島誠之助を目指すハカセによる鑑定レポート ハカセによる麻雀プロ診断 鑑定される人 飯田正人(最高位) 鑑定する人 福地誠(ハカセ) 今回の鑑定結果 キャラクター ★★ テクニック ★★★★ 熱意 ★★★ コメント「プロは語ってナンボですから、テクニックを解説してくださいね」 ************************************ ■最強・飯田プロの麻雀って? 麻雀プロの頂点に君臨する――。そういっても過言ではないのが飯田正人プロで す。 過去に獲ったタイトルは通算して12個。なかでも、本場所と言える最高位戦(リー グ名)で、年間にただひとり頂点に輝く最高位(タイトル名)に就くこと、じつに7 回。まさに空前絶後の大記録です。 飯田プロは「大魔人」「白鯨」などの異名を持っています。飯田プロは体型もずん ぐりむっくりで、麻雀でも豪腕というイメージがあります。 しかし飯田プロの強さには、その反対の要素こそ重要となっています。相手をよく 観察して、危険と見るや遠巻きにし、チャンスと見るや大胆に襲いかかる。そんなネ コ科的な能力が高いと思うのです。 麻雀の「強さ」にも各種ありますが、飯田プロは対応型ということですね。 この日、飯田プロはサインを求められて、「耐えて、忍んで、一気攻め!」と書い ていました。飯田プロ本人も、そんな姿勢を基本に考えているのでしょう。 外見はのっそりしているけれども、卓内では観察力にすぐれており俊敏。しかし、 そういったことを理屈で考えない天然人。それが飯田プロなのだと思います。 はたして相手の顔も見えず、雰囲気もわからないネット対戦で、観察をベースにし た飯田麻雀は、強さを発揮できるのか? それでは僭越ながら、鑑定させていただき ましょう。 ■捨牌読みのモデルケースを発見! さて、不調が続いていた飯田プロですが、南2局0本場に親を迎えます。南場の親 番、それは沈んでいる者にとって一筋の希望といえるでしょう。挽回する可能性はこ の局にかかっている。そんな気持ちでのぞむものです。 ここで飯田プロに早いテンパイが入ります。6巡目に即リーチ。これがその捨牌で す。 9發9六(8)4 この捨牌、じつは「捨牌読み」に役立つモデルケースとなっています。これがその ときの手牌で、待ちはカン二でした。 一三(4)(5)(6)(9)(9)234北北北 なぜこの手牌が捨牌読みに役立つのでしょう。それは「早い中張牌(チュンチャン 牌=まん中の牌)切りは、そのスジ牌をまたぐスジが危ない」という典型例になって いるからです。具体的には、六のスジ牌である三をまたぐスジ、つまり一四と二五が 危ないのです。 というのは、手牌に三と六が浮いている場合には、一方にくっついてリャンメンが できたなら、バランス上、もう一方は一刻も早く捨てたいもの。このとき、三に二か 四がくっついたら六が捨てられ、六に五か七がくっついたら三が捨てられます。そう なると、打牌のスジ牌をまたぐスジが危ないことになるわけです。 ■裏スジと裏々スジは要注意! この捨牌で、二五ははいわゆる「裏スジ」です。また、こういったときの一四を、 わたしは「裏々スジ」と呼んでいます。 早く切られた中張牌の裏スジと裏々スジは本命のひとつとなる。それが捨牌読みの セオリーなのです。厳密にいうなら、そこが待ちになっているかどうかは分かりませ んが、少なくとも4メンツのひとつがそこにある可能性が高いわけです。 4巡目、飯田プロの手牌はこうなっていました。 三六(4)(8)(9)(9)2344北北北 ツモ(6) ここで切る牌は三か六ですね。このとき、飯田プロは六を切り、次巡に(5)を引 いて(8)切り。そして6巡目に一を引いてテンパイ。4切りで即リーチしたわけで す。 さて、この手牌はどうなったのか? 挽回の希望を乗せた親番もむなしく、この局 はメロンソーダ氏が2000点でアガってしまいました(牌図1)。この手牌は、わ れわれに捨牌読みのパターンを確認させてくれる教育的使命を担っていても、ハン チャンの行方を左右する運命は担っていなかったのですね。 ■牌図1 ************************************ さて、このあと待っている飯田プロらしい天然な展開とは? 続きをお読みになりたい方は、次号をお楽しみに! _____________________________________ (3)○●薄幸OL編集長通信  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 無知の知。 〜真の知に至る出発点は無知を自覚することにある、とするソクラテスの考え方〜 「プルコギ」に学ぶ。 「プルコギ」とは、韓国語で「プル=火、コギ=肉」という意味で、韓国の家庭で はごく普通のメニュー。 日本の料理に類似を求めるなら、肉と少量の薬味野菜だけのすき焼きというか、 牛鍋という感じのものである。 などと今では、すっかり?「プルコギ」を語れる私です(付け焼刃程度)。 それと言うのも、先日、プルコギなるものを、弊社スタッフ数人で縁あって初体験 する機会がありまして。 ところが、見たことも無いジンギスカン鍋の様な、おわんをひっくり返した様な形 の鍋と野菜にまみれたお肉。 それらを前に、戸惑う我々一行。 妙な不安感に襲われつつもとりあえず、韓国料理なんだからとお肉をそ〜っと 焼き、野菜をそ〜っと乗せる。そして、そ〜っと食べる。 店員さんに聞いても、間違っていないとの事。それでも腑に落ちず、挙動不審のまま 「プルコギ」初体験は終了したのです。 後日、不安的中。 「やっぱりあの食べ方は、間違っていたんだよ」と同席スタッフ談。肉と野菜はいっ ぺんに乗せて、それこそ「すき焼き」状態にするのだとか。 知らないものを前にすると、大胆に対応するのではなく、とりあえず小動物のよう に丸まって対応してしまうワタクシたち。しかし、プルコギは豪快にかきまぜて食べ るものだったのですね。 こんなところでも、シマリス的な本性を露わにしてしまったのでありました。 おいーっ!! 世の中知らない事だらけ。ありがとう、「プルコギ」。 いつも出発点。 ************************************ 〜お詫び〜 第1号の<ハカセの麻雀プロ観戦記!>の内容に、誤りがございました。 皆様にはお詫び申し上げると共に、以下に訂正させていただきます。 大変失礼致しました。 正しくは、東2局と東3局をあがったのは、mettagiriさんでした。 https://jankenso.net/archive/kanteidan/vip_11/vip11_index8.htm =*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=* 発行 株式会社 テラネットプロダクト 毎月第2木曜発行 協力 福地 誠 編集人 佐藤恭子(Terranet Product) お問い合わせ jankenso_mm@terra.ne.jp http://www.nifty.com/jankenso/ 購読解除:http://macky.nifty.com/cgi-bin/bndisp.cgi?M-ID=terranet Copyright(c)2000-2001 TerranetProduct Inc. 無断転載を禁じます。 =*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*